シングルマザーが管理職になった。両立できた理由と正直しんどかったこと|私の場合

うちの母子家庭

40歳を目前にしたとき、管理職のオファーをもらった。

子どもは二人とも、小学校の低学年。ワンオペのシングルマザーで、仕事と子育てをどうにかこうにか回している最中だった。

正直、迷った。でも、引き受けた。

あれから10年以上が経った今、あのとき何を考えていたか、何がしんどかったか、何が支えになったかを、振り返って書いてみようと思う。

同じような立場で迷っている人に届くといいなと思う。ただ、これはあくまで私の場合の話だ。

管理職オファーが来る前、私は実家に頼り切っていた

管理職の話が来たのは40歳のころだが、その少し前の話から書かないとうまく伝わらない気がする。

当時の私は、実家の近くに住んでいた。職場までの通勤は片道1時間45分。保育園のお迎えも、子どもたちの夕飯も、両親に頼り切りだった。

親がいてくれたおかげで、仕事にも無理がきいた。残業もできたし、出張にも対応できた。両親には本当に、感謝してもしきれない。

でも、だんだんと気になることが出てきた。

子どもたちが、私より祖父母と過ごす時間のほうが圧倒的に長い。コミュニケーションも、関係の深さも、祖父母との絆のほうが先に育っていく。小さなことだけれど、子育ての方針が、いつの間にか私よりも祖父母の考えメインで動いていることもあった。

それを責めたいわけではない。むしろ感謝しかない。でも、このままでいいのかという引っかかりが、ずっと胸の底にあった。

高齢になっていく両親に、これ以上負担をかけ続けるわけにもいかない。でも、私にとって実家から離れることは相当な試練だった。親を頼らずに、本当にやっていけるのか。

思い切って、職場の徒歩圏内に引っ越した

そのころ、一つの決断をした。

職場の徒歩圏内に引っ越す。

実家からも離れ、ワンオペで子ども二人を育てる。傍から見れば無謀に映ったかもしれない。

職場に近すぎる住居は、公私の区別がつきにくいと嫌がる人も多い。でも私には、これが思いのほか合っていた。昼休みに一度帰って家事を済ませる。夕方に帰宅して子どもたちに夕飯を食べさせてから、また会社に戻ることもできた。働き方に、ぐっと柔軟さが生まれた。

そして2011年3月11日、東日本大震災のとき。小学校では保護者が迎えに来るまで子どもたちを校庭で待機させていた。職場が近かった私は、その日のうちに息子たちを迎えに行くことができた。以前の通勤距離だったら、その日の帰宅は到底無理だっただろう。

もちろん、決断した当時、私の両親は本当は寂しかったはずだ。でも、微塵もその様子を見せることなく、私の決断を肯定して背中を押してくれた。今でも、あの親の姿勢に心から感謝している。

ワンオペになってからのことは、忙しすぎて覚えていない

引っ越してからしばらくの記憶が、正直薄い。それほど忙しかった、ということだと思う。

一度も一人で留守番をしたことのなかった次男が、学校から帰っても誰もいない部屋で祖母に電話をかけ、「さみしい」と訴えたことがあった。その祖母から「息子に電話してやってほしい」と連絡がきたのを覚えている。

胸が痛かった。でも、すぐに二人とも新しい友達ができ、あっという間に新しい環境に順応していった。子どもの適応力に、どれほど救われたかわからない。

仕事が休めず、運動会に行けない年もあった。そういうとき、周りのママ友たちがさりげなく息子たちの様子を見ていてくれた。息子たちも、それで寂しさを表に出すことはなかった。「完璧な母親」ではなかったけれど、周囲の人たちに支えてもらいながら、なんとか回っていた。

担任の先生からの電話と、小3の息子の言葉

しんどかった出来事を一つ、正直に書く。

シングルマザーというだけで、「子どもへの目が行き届かない親」と最初から決めつけているような担任の先生に当たったことがあった。息子の些細な言動があるたびに、「お母さんの家庭環境から来る問題行動ではないでしょうか」といった趣旨の電話がかかってきた。

当時の私がどれだけ頭にきたか、想像していただけるだろうか。

でも、救われたのは息子だった。小学3年生のその息子が、「あの先生、変なこと言うよね」とさらっと言ったのだ。

子どもの方がよっぽど冷静だった。その一言で、私も必要以上に引きずらずに済んだ。

「完璧にできないこと」を気にするのをやめた

管理職になってからも、シングルマザーの日常は変わらない。むしろ責任が増えた分、何かをこぼしながら回していくしかなかった。

そこで私がたどり着いたのは、「こぼれ落ちたことは、優先順位が低かったんだ」と割り切るということだった。

完璧にできていないことを、いつまでも気にするのをやめた。全部をうまくやろうとするから苦しくなる。「今日できなかったことは、今日の私には必要なかったこと」。そう決めてからのほうが、少し楽になった。

これが正しいとは言わない。でも私の場合は、そう考えることで長く続けることができた。

今、振り返って思うこと

息子たちは今、それぞれ独立した大人になった。

あの引っ越しの決断は、親子ともに影響の大きな、勇気のいるものだった。でも結果として、息子たちは早い段階から「自分でやる」ことを覚えた。祖父母に甘やかされた環境から抜け出して、自立を自分のものにしていった。都心に近づいたことで、進路の選択肢も格段に広がった。大学進学のときには費用面でも悩んだが、それは別の記事に書いた。

私自身は、悔いなく育児と仕事の両方に全力で向き合ったと、今は思える。しんどかった時期も、うまくいかなかったこともたくさんある。でも、やりきったという感覚がある。

管理職とシングルマザーの両立が「できる」かどうかは、人によると思う。環境も、職場の文化も、子どもの性格も、頼れる人がいるかどうかも、全部違うから。

ただ、私の場合は「やってみたら、なんとかなった」というのが正直なところだ。

おわりに

管理職のオファーが来たとき、「シングルマザーだから無理かもしれない」と思った自分がいた。でも今思えば、シングルマザーだったことと管理職であることは、そんなに矛盾していなかった。

むしろ、毎日の綱渡りの中で「優先順位をつける」「割り切る」「頼れるものに頼る」という力が、自然と身についていたのかもしれない。

同じように迷っている誰かに、この記録が少しでも参考になったら嬉しい。

息子が独立してから、ずっと後回しにしてきた自分自身のことに向き合い始めた。お金のこともそのひとつ。→ 50代シングルマザーがNISA4年目で+109万円になった話

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